東京告白教会牧師就職式



5月3日(火・休)東京告白教会 篠塚予奈牧師の牧師就職式
この日、木立に囲まれた教会は喜びの人々で溢れていました。
特に渡辺信夫先生の嬉しそうなお顔が印象的でした。
100名以上の出席があったと思われます。

恵泉伝道所伝道師就職式





4月29日(金・休)恵泉伝道所 山田矩子伝道師就職式
相模川の傍、山を少し登った所に小川武満先生が開いていらした診療所が
あり、現在は改装されて牧師館となっていました。更に登ると伝道所が
あります。就職式には120人程の出席者があり、感謝と喜びにに満ち、
恵まれた就職式でした。

聖書の学びと祈りの会 聖書研究ー創世記38章1節-30節 2011年5月5日

 創世記38章1節-30節 2011年5月5日
 37章からヨセフ物語が始まったが、突然38章で、前章の流れは中断される。ヨセフ物語りは性格には「ヨセフを中心としたヤコブの息子たちの物語」ということなのであろう。
 34章では娘のディナが辱めを受け、シメオンとレビが報復をするという出来事があった。37章ではルベンを初めとするヨセフの兄たちがヨセフをイシュマエル人に売る相談をしている。そして38章でユダに焦点が当てられる。
 この話しを読む限りにおいて「ユダの罪」が強調されるように感じる。我々はこの箇所を罪の箇所として読むのか、もしくはそれ以外の御言葉として読むのか、そのことを考えつつ読み進めていきたい。
 ユダはカナン人シュアの娘を妻とした(名前はなく「シュアの娘」とだけ言われている)。ユダは妻との間に、長男エル、次男オナン、三男シェラをもうけた。ユダは長男エルにタマルという女性を嫁に迎えたが、エルが主の意に反したのでエルは死んでしまった。そこからこの物語が始まっていく。
 ユダはタマルに、次男オナンとの間に子を儲けよ、ということを命じた。これは当時の風習の中にあった「レビラート婚」もしくは「レビラート婚姻法」と言われる有名な規定で、旧約律法の中にも記されている(申命記25:5-6)。子が出来ないまま早くして夫を亡くした者は、夫の兄弟もしくは最も近い近親者との間によって子を儲けることができる、という法律である。この法律には拘束力があり、未亡人にはその権利があり、夫側の親族にはそれを果たす義務があった。(新約聖書のマタイ22:24ではレビラート婚を前提にサドカイ派の人がイエスに問答を仕掛けている)
 この法律は、未亡人のためにある法律と考えてよい。当時、子が生まれることはその家の祝福と見做された。従ってそれが叶わずに命の絶たれた家のためにこの慣習があったのである。その為タマルは夫の弟であるオナンとの間に子を儲けることとなった。
 しかしオナンは、生まれた子が自分の子ではなく「兄の子」となることを承服しなかった。彼はタマルとの関係の中で敢えて子が出来ないように振舞った。つまりそれが神の御心に反したということで、次男オナンも死んでしまうこととなったのである。
 これらによって想像出来ることは、エルとオナンの兄弟仲が大して良くなかった、否、悪かったのではないかということである。祖父ヤコブとエサウの兄弟仲、ヨセフと父である兄たちの兄弟仲が悪いのに加え、その息子たちも悪かった、ということは親が親なら子も子である、ということであろうか。
 さて、これを見たユダは三男のシェラもまた兄たちのように死なせてはならないと思い、タマルに近づけさせなかった。林嗣夫氏は「タマルは災いをもたらす不吉な女であるとして人間的な判断をした」と言っている。
 11節では「シェラが成人するまで~」とその期限が設定されているが、その後に「シェラもまた兄たちのように死んではいけないと思ったからであった」とあるように、これがユダの本心であるように思われる。とにかくユダはタマルに近づいて欲しくなかったのだ。
 この判断に対して、タマルは娼婦の格好をしユダと関係を持ち、彼女の画策したとおりユダとの間に子を儲けたのである。それがペレツとゼラであったことが最後に書かれている。冒頭でも言ったように、この話は「ユダの罪」がクローズアップされるように思われる。つまりユダ中心の物語としてこれを読むことが多いと思うのである。しかしここで視点を変えタマルの物語として読むならば、これが罪の物語ではなく、神の祝福の物語となる。
 タマルは何とかして子を授けられる事を願った。それで義父との間に子を儲けることを考え付くのである。考え付くというよりも、タマルにとって当然であったのかもしれない。なぜならば、それが彼女の常識であったからである。タマルが行なったような、義父との関係によって子を儲ける、ということは、現代の我々の感覚から言って、非常に不謹慎で、倫理上あり得ない事柄と感じるかもしれない。しかし聖書の中で法制化される前に、既にレビラート婚は古代東方諸国で一般的な慣習として行なわれていた。特にヘト人の間では、義父もその責任を負う、ということが認められていた。つまりタマルはヘト人であった可能性が高いのだ。そう考えるならば、タマルの行なったことは何ら非難されることではないと言えるだろう。
 彼女は三男シェラとの関係が絶たれたことを知ると、しばらく自分の父の家に無をひそめる事となった(11節)。タマルは満を持して行動にでた。タマルという言葉は「ほっそりした人」という意味だそうである。彼女が細く背の高い女性であったとするならば、神殿娼婦として道端に立ったとき、目立つ存在であったのかもしれない。
 また彼女は賢く振舞っている。それは保証の品として「印章と杖」(18節)を受け取っていることである。印章と杖は、身分保証書にもなりうる。コピーすることや、同じ物を大量生産できない時代である。羊のように同じような判別のつきにくい保証ではなく、彼の持ち物に着眼したことは、彼女の賢さである。
 彼女は計画を果たし、そこから3ヶ月身を潜めた。これもまた身ごもったことを確認するための期間であった。ユダはこの知らせに憤慨した。タマルが不義を犯したとなれば、身内関係者として生かしておくことは出来ない。姦淫を犯した女性は、祭司の娘は焼き殺され、一般の女性は石で打ち殺される規定になっていた。(だからと言って彼女が祭司の娘であるとも限らない。律法が出来る前の出来事だからである)。
 そこでタマルは保証の品を見せたのである。身ごもったのは自分の子であったことを認め、ユダは彼女の非常手段を肯定せざるを得なかった。ユダは罪を犯した。それは人間的な思いを優先させ、自分の身を守ることに執着した結果であった。しかしタマルは身を危険に晒しながらも、自分と神との関係の中で、正しいと思う事を行なったのであった。タマルの行動は、一方では「騙す」という決して正しいとは言えない行動でありながら、しかし自分の名誉と命の危険を冒してでもこのような措置にではことは賞賛に値するのである。
 特に彼女の境遇や、置かれた状況を考えて
みると分かるのではないか。タマルは長男と結婚した。しかしタマルの罪ではなく、長男エルの何らかの罪によってエルは早死にしてしまった。それはタマルによって、大変不幸なことであったに違いない。しかし律法はこのやもめに対して寛容であり、レビラート婚という措置を設けていた。そのため、彼女には将来を見ることが可能であった。しかしオナンは兄弟仲によるものか、自分の子にならない事を妬んでか、とにかく人間的な思いの中でタマル中心に考えることはしなかった。そしてオナンも死んでしまった。またやもめとなったタマルは、今度こそとばかりに三男シェラに期待をかけるのだが、今度は穢れた者を扱うかのように(言ってみればタマルは冤罪であるにもかかわらず、タマルが不吉であるかのように扱われ)、シェラが成人するまでという条件が提示された。彼女はこれを信じたのだろう。しかし「かなりの年月がたった」のち、シェラが成人したはずなのにその連絡はこなかった。その為彼女は非常手段に出た。義父との関係を得るための強硬手段に出たのだった。しかし義父がタマルの妊娠に気がついたとき、それは彼の犯した結果となっていた。彼は26節で語っている。「わたしよりも彼女の方が正しい。わたしが彼女を息子のシェラに与えなかったからだ」と。ユダは素直だった。自らの罪を認め、その原因・理由も理解していた。
 タマルの行為は、娼婦を装い半ば騙す形で子を得るということであった。これは決して手放しに賞賛されることではないかもしれない。しかし男性主導の家父長制社会を生きる女性として、レビラート婚の権利を人間的な感情で(しかもタマルに近づくと不吉である、という勝手な解釈のもとで)彼女は子を得る権利を奪われていたのだ。そうなればこうするより他はない。彼女には情状酌量の余地がある。
 タマルは人間による妨げをかき分けるようにして、神の約束(子の誕生)を得たのだ。決して人間の知恵や行いや努力を賞賛するものではないのだが、しかしヤコブが何とかして神の祝福を得ようとしたあの思いに通じるものがあると感じる。使徒パウロもフィリピ書で「私は既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者となっているわけでもありません。何とかして捕らえようと努めているのです」と言っているとおりである。
 
 最後にイエス・キリストとの関係について述べよう。タマルは異邦人(ヘト人?)であったのだが、彼女の祈りは神に聞き入れられた。この出来事を通して、さらにマタイ福音書1章のキリストの系図を見てみたい。興味深いことにヤコブの次はヨセフではなく、ユダがイエスの系図に繋がっていることが分かる。それはキリストが、異邦人も罪人も含めた、全ての人類の救いのためにお生まれになったことを示しているということである。
 聖書は決してユダヤ人のみの神なのではなく、ユダヤ人を罪人のモデルとして選び、人類の救済について語った神の言葉であると言える。タマルもまた、神の祝福と恵みのうちにあったのである。

聖書の学びと祈りの会 聖書研究ー創世記37章1節-36節 2011年4月28日

 創世記37章1節-36節 2011年4月28日 祈祷会奨励
 37章から50章まではヨセフ物語です。かのゲーテは「旧約の中でヨセフ物語が特に文芸的な興味が深い」と言い、現代ではトーマス・マンが戦争亡命中に「ヨセフとその兄弟たち」という長編作品を書いています。このトーマス・マンは、このヨセフ物語を、人類物語の原型である、と言っています。それは、現代の我々のあり方の意味はこのヨセフ物語から解釈されねばならないということでありましょう。
 さて、今日の箇所で「ヤコブはカナン地方に住んでいた」とありますが、本当はヘブロンです。ここではヨセフが父ヤコブの偏愛を受けていることが明確に示されます。
 この偏愛とえこひいきは、兄弟たちの心をかきむしるものであったことは用意に想像できます。それはヨセフがヤコブの年寄り子であったということがその理由であるとされていました。実際にはヤコブがラケルしか愛していなかった、つまりラケルへの偏愛が反映されて、ヨセフに対しても同じように執着した、ということが言えると思います。
※(「袖の長い晴れ着」という言葉は実はどのような意味か分からないだそうです)
 しかし「イスラエルは、ヨセフが年寄り子であった」とありますが、実はこれは言いすぎです。ヨセフが生まれたとき、ヤコブはまだ働き盛りでした。当時の平均寿命とか、当時の労働条件等を加味すれば、年寄りであったのかもしれません。日本の農家でも昔は40代後半で隠居していたようです。
 
 兄弟たちはヨセフを憎み、殺そうと考えましたが、ルベンの「命まで取るのはよそう」という説得を受け入れて、売り飛ばすことで何とか我慢することとなったのです。彼らは「空の井戸」にヨセフを投げ入れました。
 
 ヨセフ物語は、当時の世界観や世界の流通事情が反映されています。イスラエル地方は、東側にメソポタミアの大平原が広がり、そこでは文化が栄え大帝国が起こりました。この当時の世界の二大文明であるエジプト文明とメソポタミア文明ですのちょうど中間にイスラエルは位置します。この二大文明の間には多くの流通貿易が行われました。東からは、シリアの都ダマスコを通り、ヨルダン川の東ギレアドを通り、ヨルダンを渡って、シケムを通って海岸平野に出て、海岸沿いにエジプトまで続く、というのが、イシュマエル人などの隊商たちのメイン道路であったということです。この意味でヨセフ物語は、エジプトという当時最大の文化の中心を踏まえた、国際的な大舞台の物語で、当時の状況を反映している物語であると言えるわけです。
 イシュマエル人はイシュマエルの子孫で砂漠の遊牧民です。平和なときには隊商として交易に従事し、事あれば農耕民を襲って略奪もする。それは海洋民族が通商もするし海賊になるのと似ているということです。彼らが商っているのは、主に「樹脂、乳香、没薬」という香料で、これは医薬品でもあるため、高価な品物でした。海上の大量輸送とは違い、らくだの背中に乗せて長い旅の間運ぶので大変なコストが掛かります。ですからよほど高価な品物でないと採算が取れないというわけです。
 最初はルベンの提案を受け入れた兄弟たちでありましたが、ユダの同じような提案をし、イシュマエル人に売り飛ばそうと言いますが、そのとき、ミディアン人の商人たちが通りかかって、彼らがイシュマエル人に売ってしまいました。
 穴から消えてしまったのを見たルベンは嘆きます。嘆くなら最初からこんな事をしなければよいのに、と思うのですが、人間の罪とはこういうものでして、後から反省しても後悔先に立たず、というのはこのことでありましょう。この状況を父ヤコブに伝えましたが、ヤコブの嘆きはそれ以上のものでした。
 ここではルベンだけは嘆いているのですが、その他の兄弟たちは、狡猾な手口を使って父を騙そうとします。つまり彼らの行なった事を隠すための隠蔽工作です。ヨセフの着物を取り、雄山羊の血に浸して野獣に食われたことにさせたのです。もちろんDNA鑑定などという物はありませんから、それを証拠にされてしまったヤコブは、全てを悟り、数日間嘆き悲しんだのでありました。
 ヨセフ物語を最初を読むとき一番感じるのは、人間の罪に関してであろうと思います。親の偏愛、兄弟の憎悪、そして実際に犯した罪、などです。しかしもう一つ、ヨセフが犯した罪、それは傲慢で、偉ぶった「天狗になっていた」という罪もあると思うのです。彼はえこひいきされていました。親の偏愛を一身に受けて、彼は自分が特別な者であることを自負し、アピールし、兄弟たちの気持ちを考えないところがあったのでしょう。聖書にはヨセフの傲慢についてはっきりと書かれてはいないのですが、しかし夢の話を悪びれもせずペラペラと話せる事を考え見れば、彼は少なくとも、兄弟たちの気持ちに対して鈍感であり、無頓着であったのではないかと思うのです。つまりここにあるのは、罪の数々です。それをヨセフ物語の一番始めに見せ付けられるのです。
 しかしこの章の最後の部分で、今後続いていく神様の大いなる計画と摂理について深く考えさせられます。最終的に行き着いた先は、ポティファルのところでした。彼はファラオの侍従長でした。ポティファルというのは、エジプトの言葉では「太陽神ラーの贈り物」という意味だそうです。このポティファルによって、異教の神々の場所にもたらされた一人の人物が、その後どのような歩みを与えられていくかは皆さんご存知の通りかもしれません。それがこれから50章まで続いていくわけですが、少なくとも、人間の目には罪と映る悪しきことであっても、憎悪、悪意、騙しと言った嘆かわしいことであっても、しあし神はその全てを予期に計らって下さる方であることを、これからの学びの中でみて生きたいと思います。人間が犯した罪が、神の下でよきものに変えられていく。自分の罪ゆえに招いてしまった悲劇が、同時に神の祝福に巻き込まれていく。取り返しのつかないことが、物語り全体の中で、全ての事柄が恵みとなっていく。その事を見ていきたいと思います。

聖書の学びと祈りの会 聖書研究ー創世記36章1節-43節 2011年4月21日

 創世記36章1節-43節 2011年4月21日 祈祷会奨励
「エサウの系図」
 エサウは何人もの妻を持つ。ヘテ人の娘アダ。ヒビ人の娘オホリバマ、イシュマエルの娘バセマトです。この事情は26章34節~35節にも書かれていますが、全く名前が異なっている。
 ヘテ人は申命記7章1節によるとか何の地の七つの原住民の筆頭民族である。アブラハムはサラが死んだとき、この「ヘテ人」からヘブロンにあるマクペラの洞穴を買い取った。ヘテ人ハ北方から来た先住の民族であり、文明は進んでいた。エサウは原住民ヘテ人の娘と結婚することによって原住民と強調的に過ごすことが出来ました。また、最も東に住むイシュマエルの娘を娶ることによって、東の民(アラビア)との友好関係を築いた。そのためエドムは広い地域を安定して確保できたといえる。
 36章の系図の著しい特徴は、それがまさにこの部分におかれているということにある。ヤコブに関する伝承の長い結論部分がエサウに関するものであることは、素晴らしいことである。ヤコブについての物語り全体を聞いてきた全ての人は、古い世代の事を忘れて新しい世代へと、すなわち、ヨセフへと向かう準備が出来ていることを知っている。しかしながら、伝承それ自体はそんなに急いではいない。伝承は、エサウを放っておくことに困難を感じている。そしてそのことが、明らかにヤコブの家族からの圧力と誠実さによって形成された一つの伝承にとっての重要な問題点を提起している。
 エサウは「ヤコブ物語」全体を通して敬意を持って扱われている。27章の長子の祝福が奪われる場面では、エサウは、人の心を動かさずにはおかない情感をもって描かれているし、33章の和解の場面においては、彼は高潔に描かれている。また36章7節では、エサウとヤコブの間の富の分割が論争によってではなく、実際的に、そして平和裏になされたことが述べられている。13章のロトの場合と同じように、富の分割は、エサウに対して何らの汚点も残していない。
 エサウはカナンをヤコブに明け渡し、自分はセイルに身を引いたと読むことが出来る。33章の場面ではヤコブとエサウのやり取りの中でエサウが好んでセイルに行っているように見えるが、36章の場面では、ヤコブのために身を引いたと受け取られる。
 全体的な印象として、聖書は暗黙のうちにエサウを褒め称えていると見ることができる。ヤコブ物語の中で、ただ一度として、エサウに対する痛烈な言葉というものは見当たらない。ヤコブに対する彼の怒りさえも、批判されることなく、正当なものとして描かれている。
 私たちは、ヤコブが選ばれ、エサウが長子の権利を軽んじたという出来事を見てきたため、あまりも割り切って聖書がエサウを否定していると考えがちである。確かに聖書はヤコブを選んでいると伝える。しかしもっと正確に聖書のメッセージを語るならば、聖書はヤコブを選んでいるけれども、しかしエサウが拒否されているわけでもない、という事が言えるだろう。それは既に、女奴隷ハガルや、その息子イシュマエルに対して祝福の言葉と守りが備えられているようにである(16章)。もっと遡って言うならば、カインとアベルの争いによって、アベルを殺してしまったカインに対し、神は彼を追放するのであるが、しかし最終的に彼に与えられた言葉は、4章13節~16節の祝福の言葉であった。
 
 使徒言行録14章16節には「神は過ぎ去った時代には、全ての国の人が思い思いの道を行くままにしておられました。しかし神はご自分の事を証ししないでおられたわけではありません。」このようなパウロの言葉がある。しかし今やこの時代は過ぎ去ったとパウロは言う。つまりこれまでは別々の歩みをしてきた異邦人たちも、ユダヤ人たちも、ギリシャ人たちも、全てのひとがこぞって主を賛美し、主の御名をあがめる日がやってきたのだ。それこそが主イエス・キリストの十字架と復活である。
 キリストが我々の間に立ち給うならば、そこにはそれぞれの差異を越え、民族の違いを越え、生き方の違いを越えたもの同士が、キリストの復活に与ることが出来る。そこ現実をいま受難週のこの時に改めて感じさせられたいと思うものである。