聖書の学びと祈りの会 聖書研究ー創世記36章1節-43節 2011年4月21日

 創世記36章1節-43節 2011年4月21日 祈祷会奨励
「エサウの系図」
 エサウは何人もの妻を持つ。ヘテ人の娘アダ。ヒビ人の娘オホリバマ、イシュマエルの娘バセマトです。この事情は26章34節~35節にも書かれていますが、全く名前が異なっている。
 ヘテ人は申命記7章1節によるとか何の地の七つの原住民の筆頭民族である。アブラハムはサラが死んだとき、この「ヘテ人」からヘブロンにあるマクペラの洞穴を買い取った。ヘテ人ハ北方から来た先住の民族であり、文明は進んでいた。エサウは原住民ヘテ人の娘と結婚することによって原住民と強調的に過ごすことが出来ました。また、最も東に住むイシュマエルの娘を娶ることによって、東の民(アラビア)との友好関係を築いた。そのためエドムは広い地域を安定して確保できたといえる。
 36章の系図の著しい特徴は、それがまさにこの部分におかれているということにある。ヤコブに関する伝承の長い結論部分がエサウに関するものであることは、素晴らしいことである。ヤコブについての物語り全体を聞いてきた全ての人は、古い世代の事を忘れて新しい世代へと、すなわち、ヨセフへと向かう準備が出来ていることを知っている。しかしながら、伝承それ自体はそんなに急いではいない。伝承は、エサウを放っておくことに困難を感じている。そしてそのことが、明らかにヤコブの家族からの圧力と誠実さによって形成された一つの伝承にとっての重要な問題点を提起している。
 エサウは「ヤコブ物語」全体を通して敬意を持って扱われている。27章の長子の祝福が奪われる場面では、エサウは、人の心を動かさずにはおかない情感をもって描かれているし、33章の和解の場面においては、彼は高潔に描かれている。また36章7節では、エサウとヤコブの間の富の分割が論争によってではなく、実際的に、そして平和裏になされたことが述べられている。13章のロトの場合と同じように、富の分割は、エサウに対して何らの汚点も残していない。
 エサウはカナンをヤコブに明け渡し、自分はセイルに身を引いたと読むことが出来る。33章の場面ではヤコブとエサウのやり取りの中でエサウが好んでセイルに行っているように見えるが、36章の場面では、ヤコブのために身を引いたと受け取られる。
 全体的な印象として、聖書は暗黙のうちにエサウを褒め称えていると見ることができる。ヤコブ物語の中で、ただ一度として、エサウに対する痛烈な言葉というものは見当たらない。ヤコブに対する彼の怒りさえも、批判されることなく、正当なものとして描かれている。
 私たちは、ヤコブが選ばれ、エサウが長子の権利を軽んじたという出来事を見てきたため、あまりも割り切って聖書がエサウを否定していると考えがちである。確かに聖書はヤコブを選んでいると伝える。しかしもっと正確に聖書のメッセージを語るならば、聖書はヤコブを選んでいるけれども、しかしエサウが拒否されているわけでもない、という事が言えるだろう。それは既に、女奴隷ハガルや、その息子イシュマエルに対して祝福の言葉と守りが備えられているようにである(16章)。もっと遡って言うならば、カインとアベルの争いによって、アベルを殺してしまったカインに対し、神は彼を追放するのであるが、しかし最終的に彼に与えられた言葉は、4章13節~16節の祝福の言葉であった。
 
 使徒言行録14章16節には「神は過ぎ去った時代には、全ての国の人が思い思いの道を行くままにしておられました。しかし神はご自分の事を証ししないでおられたわけではありません。」このようなパウロの言葉がある。しかし今やこの時代は過ぎ去ったとパウロは言う。つまりこれまでは別々の歩みをしてきた異邦人たちも、ユダヤ人たちも、ギリシャ人たちも、全てのひとがこぞって主を賛美し、主の御名をあがめる日がやってきたのだ。それこそが主イエス・キリストの十字架と復活である。
 キリストが我々の間に立ち給うならば、そこにはそれぞれの差異を越え、民族の違いを越え、生き方の違いを越えたもの同士が、キリストの復活に与ることが出来る。そこ現実をいま受難週のこの時に改めて感じさせられたいと思うものである。

聖書の学びと祈りの会 聖書研究ー創世記35章1節-28節 2011年4月14日

創世記35章1節-28節 2011年4月14日
1節~4節
 シメオンとレビが犯した虐殺に対し、周囲諸民族たちはその報復を考えていたはずである。新参者というだけでも肩身が狭いのに、その新参者たちが大勢を殺したとなれば、周辺諸民族が黙っているわけがない。そのため神は「さあ、べテルにのぼり、そこに住みなさい」と言われた。神はヤコブ一家に対し、逃れのための命令と、新しくやり直す言葉を与えた。
 1節の「神のための祭壇」や2節の「服装を変えること」は、心機一転させるための表面的な変化ではなく、恨みを持つ人たちから逃れるためだけのものでもなく、また、報復に対して軍備を備えるということでもない。これはヤコブ家の宗教改革であった(渡辺)。身につけてい外国の神々とそれに関連する全ての習慣と装飾品を捨て、真の神に立ち返ろうとしたのである。それはアブラハム、イサク、そしてヤコブの神への立ち返りであった。
5節~15節
 彼らはシケムを立ち、べテルについた。神は逃れた彼らを追跡することなく(5節)無事にこの土地まで行かせた
 ここで乳母のデボラが死んだことが述べられている。デボラとはリベカの乳母であり、イサクと結婚するときに一緒に(24章59節)ついて来た乳母である。リベカはこの時やコブと対面する前に亡くなっていたと考えられるが、デボラは3世代に亘って長寿であったという。
 重要なことは、彼女が死んだとき「嘆きの樫の木」の下に葬られたということから、彼女が大変慕われていたということである。ヤコブの家でも屋台骨を支える柱となっていたのかもしれない。
16節~29節
 ヤコブの家はベテルから南下し、父イサクの住む、ヘブロンのマムレに向けて出発した。
 これまでの道のりを考えるならば、ヤコブはイサクに対して特に愛着を感じていなかったようである。パダンアラム(ラバンのところ)にいた時に「親族の下へ行け」と神に示されたのち、ヤボクでエサウと20年ぶりの再会を果たす。しかしエサウの「ヤボクの南にあるセイルで一緒に暮らそう」という申し出を断り、ヤボクから遠くない「スコト」に留まった。その後すぐにべテルに行くわけでも、ヘブロンに向かうわけでもなく、シケムでぐずぐずとしていたために「息子たちの罪」を招いてしまう。そこで父と再会するのであるが、パダンアラムを出てから父に会うのが明らかに遅いように思う。つまり「父はエサウを愛し、母はヤコブを愛した」のは、「エサウは父を愛し、ヤコブは母を愛した」ということを示しているのだろう。
 最終的にエサウとヤコブに看取られてイサクはその生涯を終えるわけであるが、その前にヤコブは最愛のラケルの死を迎えるのである。
 (16節)一同がべテルを出発した後、ラケルは産気づいた。かなりの難産であったため、その苦しみは大変なものであったようだ。彼女は生まれた子に「ベン・オニ」(私の苦しみの子)と名づけたが、それでは耐えられないと思ったのであろう、ヤコブは「ベニヤミン」(幸いの子)と名づけた。
19節~22節
 19節以下~22節はヤコブ一家にとって衝撃的な出来事であり、父ヤコブに対する侮辱でもあった。なぜこのような事が起きたのかは分からないが、おそらくラケルの死によって、ラケル所有の側女であるビルハの(所謂)所有問題が起こったのかもしれない。いずれにしてもルベンはレアの子でありヤコブ家の長男であるが、その彼がビルハと関係を持ったということは、ヤコブ家の罪を現している。父に対して罪を犯し、母レア、ラケルに対しても罪を犯し、姦通の罪ということで、自らの命への罪を犯している。
 渡辺信夫は次のように言う。「ラケルの死は、ヤコブ一家にとって衝撃的な事件であり、その衝撃は必ずしも人々を精神的に高めるのではなく、むしろ刹那的快楽に陥らせない歯止めになっていた支えを取り外す作用をします。イザヤ書22章13節に『我々は食い、かつ飲もう、明日は死ぬのだから』という不信仰の世界で横行する諺が惹かれています。死の陰がチラチラするところでは性の快楽への誘いが活発化します。この諺をコリント前書15章32節が引用するところであきらかになりますが、死の衝撃には死人の復活を対置させなければ、人間の崩壊を食い止めることはできません」
 とにかく、ここに出てくるのはイスラエルの(選ばれた)12部族の始祖たちである、ということである。つまりこの始祖たちの罪の数々を見る限りでは、決して「選ばれた」という言葉を使うことが出来ないほどに彼らの行いは汚れている。しかし神はこの罪深い12部族を選んだのだ。それは美しく、清く、正しい、聖なる民であるからではない。申命記7章6節~9節にある約束の言葉がそれを証している(旧約292頁)

聖書の学びと祈りの会 聖書研究ー創世記33章1節-19節 2011年3月31日

 創世記33章1節-19節 2011年3月31日
 32章では「ヤボクの渡し」で神と格闘する。正確には「神の使いと思わしき者と格闘する」のであった。ヤコブは大腿骨をいとも簡単に外された。そこで神の力に驚く。彼はここで肢体不自由となったのであろうが、そこで神との出会いを受けた。
 1節-2節、6節-7節の順序は何を意味しているのか。好きな順番という感じがするが、もっと具体的に言うと、大事な順に挨拶をさせていき、安全をはかっていった、ということである。最初にエサウと会わせて大丈夫なら次、という感じであった。今ではこのようなことはまかり通らないと思うが、古代の話であることを前提にするとこれはまかり通るのであった。
 エサウは走りよってヤコブを迎え、抱きしめ、首を抱えて口付けし、共に泣いた。放蕩息子のたとえの中で、父親が放蕩の限りを尽くして帰ってきたろくでもない息子を快く迎え、帰ってきたことを大歓迎し、祝いの宴をもうけた。あの放蕩息子のように、ヤコブは出迎えられたのである。しかしなぜこのように和解できたのだろうか。
 それは「7度地にひれ伏した」という言葉が現している。普通敬いとしてひれ伏すのは3度と決まっていた。しかし王に謁見する時ばかりは7度ひれ伏す、と決められていた。つまりヤコブはエサウに対して、王に対するのと同じ7度ひれ伏して思いを表した。それによってエサウの心が何らかの仕方で変化したかどうかは分からない。聖書には書いていない。しかしエサウにとって400人のお供を連れてヤコブを迎えに来たことから鑑みると、エサウの中に全く警戒心がなかったかというとそうではないと感じる。つまりエサウはヤコブに不信感を抱いていたのだ。ヤコブも不安だったがエサウも不安だったのだ。
 しかし不安は7度のひれ伏しによって解消されたと言える。それはヤコブの悔い改めであった。彼は自分の行いに対して、悔い改めをもって兄を敬った。あの放蕩息子は父から受け継いだ財産を全て使い果たし、一文無しになったのであるが、あの息子は自分のふがいなさと間違いに気付き、自分の生きる場所に戻りたいという悔い改めをもって父の元に返ってきたのだ。それを父は受け入れた。
 エサウはこの父と全く同じであるかどうかは別として、いずれにしてもこの中に書かれているのは、悔い改めと赦しという出来事なのである。
 ヤコブはプレゼントを渡そうとする。彼はこれを是非受け取ってもらわねばならなかったものなのであった。しかしエサウは最初は遠慮する(9節)。しかし是非に、という言葉に促されて「しきりにすすめたので」(11節)受け取った。
 このように11節まではヤコブが兄エサウと和解するまでの出来事が描かれていた。しかし12節からは少し変わってくる。「さあ一緒に出掛けよう」(12節)。「わたしが連れている者を何人かお前のところに残しておくことにしよう」(15節)。エサウの申し出を何度も断り続けたヤコブは、なぜこのようにしたのであろうか。
 それは、ヤコブがまだ警戒していたからである。一緒に行こう、という申し出も、護衛の者をつけてやろう、という申し出も、断ったのは、つまり早くエサウと別れたかったからである、と考えることが出来る。ヤコブは大変慎重にことを進めようとしていたのである。まだエサウを信じきっていなかったと言ってもよいかもしれない。それはエサウの好意に疑いを持っていたから、というよりも、自分の内なる思い、つまり自ら犯した罪の重さが彼をそのように疑い、不安し、恐れさせていたのであろうと思う。
 しかし今日の箇所で注目すべき言葉がある。それは10節である。「いいえ、もしご好意を頂けるのであれば、どうぞ贈り物をお受け取り下さい。兄上のお顔は、わたしには神の御顔のように見えます。この私を温かく迎えてくださったのですから」
 この言葉は少なからず戸惑いを感じさせる。それは兄の顔が神の顔のようだ、と言っているからだ。うがった見方をすれば、人間を神格化しているかのような言葉として受け取られてしまいかねない。しかしこの言葉は非常に重要である。実はこの箇所はヤコブとエサウの再会、という一連の出来事の流れの中で「顔」が一つのモティーフとして現れている。32章20節「~ヤコブは贈り物を先に行かせて兄をなだめ、その後で顔を合わせれば~」。32章31節「私は顔と顔を合わせて神を見たのに、なお生きている」。そして33章10節である。
 ここで考えたいのは、ヤコブは兄の顔を見ることが神の顔を見ることに似ている何かを見つけたということである。聖なる神の中に疎遠な兄の何かがあり、赦す兄の中に祝福する聖なる神の何かを見出したのである。ヤコブは兄の顔を直視できなかった。しかし直視するために彼は、なだめの贈り物を捧げ、7度ひれ伏し、最善を尽くして罪の贖いを求めた。我々が神の顔を見ることが出来ないのは、我々が罪を持っているからである。我々が顔向けできない神に対して、我々その御顔を仰ごうとする。それは罪の告白と赦しの中で、神と人間の関係が正常化していくことによって、神の顔を仰ぐことへと向き直らされていくのである。言い換えるならば、ヤコブは自分の罪の重さに気付いていたために、神の顔を見ることの出来ない思いを持っていた。私たちも、嘘をついたとき、悪い事をしたとき、何か自分の中に顔向けできない何かがあるとき、その当事者の顔を見ることができないように、我々は神の御顔を仰ぐことができないのだ。
 そして、この10節の言葉から考えられるのは「赦しという行為が存在する中に、神の存在が垣間見られる」ということである。エサウは神ではないし、神と呼べる何物も持っていない。しかし罪を犯したヤコブにとっては、兄の赦しは、神の赦しに匹敵するようにさえ思えた大きさを持っていたのである。勿論聖書も、神とエサウを混同してしまうような読み方を許しているのではない。しかし、天上の事柄と地上の事柄が全く乖離されたところにあるのではないということ。世俗的な事柄と神聖な事柄が全く相容れないものではなく、その両者の中にある、何かをここに見出すのである。
 大事なのは、「エサウが赦し得たことを賞賛する」ことではない。また、「ヤコブが7度ひれ伏したから赦した」というような、原因と結果の事柄としてエサウの赦しを捉えることで
もない。ヤコブは兄と出会う事を求められていたし、兄は赦す事を求められていたということである。もっと突っ込んで言うならば、32章で大腿骨を外されたヤコブが、その後片足が不自由になって生きる事を余儀なくされたことを通して、その不自由さを神の自由の中で祝福として受け止めたとき、そこに神の存在が立ち上がったのであろうと思う。さらにエサウがヤコブに父からの祝福を奪われてしまい、殺意を抱くまでに憎んだあの出来事を通して、その中にある神の御旨と御意とを受けとめ、その喪失を絶望と受け取らずに神の与え給う喪失であると受け止めたとき、そこに神の姿が立ち上がったのではないかと思うのである。

聖書の学びと祈りの会 聖書研究ー創世記30章25節‐31章16節 2011年2月17日

 創世記30章25節‐31章16節 2011年2月17日
 ラケルとの子どもであるヨセフが生まれるや否や、ヤコブは故郷に戻る事を決意します。それはラバンとの争いの始まりを意味していました。ラバンはヤコブに対し、巧妙で注意深い言い方によって彼を引き留めようとします。ヤコブは20年もの間、ラバンのところで働いてきました。もともと7年の約束であったわけですが、それが14年に延び、その後さらに6年間ラバンの家に留まって働いていたのです。これは現代的には不正就労と言えるでしょう。リベカを嫁にやったのだからもう少し働いてくれ(・・と言った」かどうか分かりませんが)そのままヤコブを働かせていたのです。14年がもともとの労働契約であったのが、ラバンの巧みな言葉に言いくるめられたのです。
 ラバンは不正に働かせることによって多くの恵みを受けました。当時は多くの財産を得ることは、その家が祝福されている証とされましたから、ヤコブによってもたらされた恵みは、そのままラバンへの祝福となったのです。しかしラバンはここで得たものをヤコブと分け合おうとしませんでした。ラバンは得た恵みを全て自分の懐に入れようとしたのです。現代的には「業務上横領」的な悪だくみであります。そのやり方はまさに詐欺的な掠め取りでありました。
 ヤコブの願いは愛する妻子たちとの独立でした。所謂「暖簾け」を求めたのですが、これは、当時としてはごく自然に行われていたものと考えられます。かつてアブラハムの僕達と甥のロトの僕達との折り合いが悪くなった時、ロトへ暖簾分けとして「肥沃な土地」を選ばせたアブラハムの姿に私たちは感銘を受けました。アブラハムは本家の優越を捨てて、分家に選択権を与えているのです。自分の場所はどこでも良いから、これからの(若い)人「ロト」のために、好きな場所を選ばせたのです。
 しかしこの箇所でラバンが行なった暖簾分けは、ラバンにとって格段に有利であり、ヤコブにとって不利な条件が提示されています。ヤコブは自分の置かれている立場上、強く権利を主張するわけにもいかず、不利な条件を飲むしかなかったのでしょう。本来ヤコブは、彼の功績から言って、ラバンよりも多くの財産を分けてもらう権利をもっていました。しかしラバンに有利なものにしておかないと、独立する承諾を得られないと考えたのでしょう。ヤコブはこの不利な条件を自ら提示したのです。ここでラバンとヤコブとの間に不平等条約が結ばれました。
 ここで出されたのは、羊とヤギの、しかも黒みがかったもの、まだらとぶちのある見た目によごれのあるものだけを下さい、というものだったのですが、しかしラバンはそれすらも渡す事を惜しんで、裏工作を行い、息子たちにそれら黒味がかった家畜たちをあらかじめ手渡していたのです。あたかも現代の欲深な資産家が、儲けの大半を税金に持っていかれることを拒んで、家族に別会社を作らせ、そこに資産を分けて脱税するかのように、巧みなやり方で、一つの財産も渡すものかと躍起になっている様子を見るのです。
 
 ヤコブはラバンにとって義理の息子であり家族であります。勿論、当時の家や結婚の感覚が、今の企業間の買収とM&Aの関係などに似ている、と何度も言ってきましたが、その観点から鑑みるならば、娘の夫であるヤコブは他の企業の社長であり、ラバンの実の息子たちが「ラバン ホールディングス」の系列会社ということになります。ですから出来るだけ財産の流用を押さえたい、という思いが働いたのでしょう。しかし誰のおかげでここまでの財をなしたのかを考えれば、ヤコブの功績を認めれば良いと思うのですが、彼はそうしませんでした。ラバンはそれを失うことが惜しかったのです。ですから彼は占いの結果とでも何とでも言いながら、ヤコブに労働力として留まらせるように説得したのです。
 しかしヤコブに対する主の導きはラバンのところに留まることではありませんでした。あくまでも悪条件を提示してまでも独立することだったのです。32節以下に書かれているヤギと羊の条件に対してラバンは息子に税金対策的な策略を施すのですけれども、それに対して37節でのヤコブはそれよりも一枚上手であったことが分かります。しかし「ポプラとアーモンドとプラタナスの木の枝を取ってきて皮をはぎ~」と書かれているこの行為は、一種のおまじないのようなもので、これをしたから効果があった、というものでありません。しかし彼は神の御手に従って、圧倒的に強い叔父ラバンの策略をかいくぐって、自分たち家族の独立と財産分与のために戦う姿を見ることができます。結果的にここで起こったのは、白いヤギと羊から、黒みがかったものと、まだらとぶちのあるものが多く生まれ、それが全てヤコブのものとなっていった、という事が示されます。人間の策略の中に生きたラバンと、神の導きに生きたヤコブの対照的な結果が表されます。
 
 さて31章に入りますと、今度はラバンの息子たちがヤコブに言いがかりをつけています。「父のものをごまかして、あの富を築き上げた」とは、随分な言い掛かりです。むしろヤコブのものをごまかしてあの富を築いたのが父ラバンであることに息子たちは気付いていないのでしょうか。しかしその後「故郷に帰りなさい」という主の言葉を聞いたヤコブは、その決心を固めていきます。「わたしの報酬を10回も変えた」と言われているのは、ヤコブに約束された条件(黒みがかったとか、まだらだとかいう条件)をコロコロと変えている状況が言われています。ラバンはその都度条件を変え、「やはり黒みがかったのは私のだ」とすれば今度は白い羊ばかりが生まれ「やっぱり白いのが私のだ」と条件を変えれば黒いのしか生まれてこなくなる、という状況を言っているのでしょう。つまりヤコブの策略ではなく、創造者である神様が為さりたいようになさった結果が示されているのです。
 確かに人間の目には明らかに神がかった出来事ですからラバンの息子たちは不正と受け取ったのでしょう。しかしこれこそが神のなさったことであったのです。つまりヤコブをもといた故郷に戻すための準備をなし、そのための蓄えと、それ以降の生活のための備えをさせていたのです。
 今日の箇所で最も印象深い言葉は「私はあなたと共にいる」という言葉と、そして2節と5節にある「あなたたちのお父さんは、私に対して以前とは態度が変わった」という言葉であります。ヤコブはラバ
ンを主人としてこの20年間働き続けてきました。しかしいざとなるとラバンは、自分の私利私欲のために条件を変え、何とか自分の私服を肥やし、一生懸命働いたヤコブのためには何もしませんでした。最終的な暖簾分けの時でさえも裏工作をして、実の息子たちにあらかじめ財産分与をし、財産の流出を押さえようと躍起になったのです。その条件は自分の有利なように、10回も変え続けたのです。自らの利益のためにコロコロと蝙蝠のように条件を変え続けるラバンの姿(人間の姿)をここに見ます。聖書は、は「あなたたちのお父さんは私に対して態度が変わった」という言葉に示されるように、これこそが「人間の主人である」と言っているのです。
 しかし神は如何なる方であり給うのか。神は我らと共にいまし、今いまし、昔いまし、永遠に居まし給う方。「草は枯れ、花は散る、しかし私たちの神の言葉は永遠に変わることがない」と言われた、変わらぬ真実と真理をお持ちの主人。この方こそが「我々の神である」と聖書は言うのです。
 そして今や、ヤコブは20年もの逃れの生活終止符を打ち、故郷に戻る事を決意するのです。それは「父と母の待つ場所」を意味しません。母はもうおらず、衰えた父と、自分を憎む兄の待つ困難な場所。諍いを投げ出して逃げてきたあの場所、一度時間の止まったあの場所に、和解と悔い改めを求めて、もう一度戻る事を決意するのです。これまでの経験と導きが、ヤコブをどのように変えたのか。果たしてエサウの怒りと憎しみはどのように変えられたのか。もしくは変わっていないのか。その場所に向けて、決して容易ではない場所に向けて歩みだすのであります。

聖書の学びと祈りの会 聖書研究ー創世記27章46節-28章22節 2011年1月13日

 創世記27章46節-28章22節 2011年1月13日
 41節~45節の内容によって、エサウの怒りの様子が分かります。45節’「1日のうちにお前たち二人を失うなどどうしてできましょう」とは、殺された者は当然のこととして、殺した者が死罪にあたる、という当時の風習に習っています。
 そのためリベカは、ヤコブを守るために、46節のようにイサクに言って、ヤコブを逃亡させる口実を作ります。あるいは、26章34節-35節にあるように、本当にリベカはエサウの妻のことで、嫌な思いをしていたのかもしれません。いずれにしても、このような逃亡が成立するということは、神様の計らい、ということになるのかもしれません。
 聖書はエサウが選んだ事柄が、すべて軽率であったことを暗に示しております。つまり祝福を弟にレンズマメの煮物で譲ってしまったことも、異教の女性を結婚相手としてさっさと決めてしまったことも、それはエサウの軽率な行動が招いた間違いである、という意味であるのでしょう。
 28章に入り、イサクはヤコブを呼び寄せて、結婚相手をカナンの地で見つけてはならない、ということを伝えます。そしてパダン・アラムに住んでいる、べトエル(リベカの父)のところに行き、その息子ラバン(リベカの兄)の娘の中から結婚相手を探しなさい、ということを命じたわけです。
 そしてヤコブは旅立に出るわけです。これによってエサウの怒りの手から免れることができ、またヤコブの人生は、新しい局面に向かって進んでいくことになります。
 しかしここで面白いのは、エサウのとった6節以下の行為であります。つまり、イサクがヤコブに対して命じたことに関して、エサウはそれを気にしているということです。8節「エサウは、カナンの娘たちが父イサクの気に入らないことを知って、イシュマエルのところへ行き、既にいる妻のほかに、もう一人、アブラハムの息子イシュマエルの娘で、ネバヨトの妹にあたるマハラトを妻とした」とあります。大した意味を持たずに書かれたのであろうと思いますが、しかしこのようにしてまで父ヤコブの意向に沿って生きようとするエサウの姿を見ますとき、何とも言えない健気さを感じてしまいます。
 これに対して小泉達人氏は、次のように言います。「いかにも単純率直で、物事を簡単に考えるエサウらしい対応です~しかしこれに対して聖書は厳しいのです。~何とか父親の好意を得ようとする~いじらしい努力に対して、聖書は一顧も与えようとしません。むしろいまさら無駄なことを、という嘲笑しているかのようです。~(それは)聖書は~神の恵みに対する軽率さに我慢ならないのです。~エサウは神の恵みを、バーゲンセールの買い物のように簡単に考えています。(それに対して)聖書は批判を止めません」(「創世記講解説教」224ページ抜粋)
 このように厳しい論調で語っています。
 しかし私は、そう簡単にこのエサウの好意を簡単に批判してよいものかと感じます。
 エサウは、ヤコブに対しては怒りと憎しみに駆られて殺そうとまでしていたわけですが、しかし一方で彼は、自分の人生を悔いて、新しい命に向かって歩み始めていた、ということがここで言われているのだと思うのです。そもそも人間とは、決して罪を犯さない者ではなく、罪を犯した後に、どうそれを悔い改め自分を見つめ直して、如何に再出発することが出来るか、ということにかかってくるのではないかと思うのです。
 間違いは犯す。しかしやり直せない人生はない。軽率な行動によって、祝福が自分の手からすり抜けて行ってしまった。しかしそれですべてが終わったわけではない。もう一度再スタートを切ることが出来るのだ。そう聖書は言っているように思います。
 さて、ヤコブは、ラバンのところに向かう道の途中にあったわけですが、この旅の途中で夜を明かします。「石を枕に夢を見る」というのは、大変印象的な一場面であります。多くの画家がこの場面を描いています。ここでヤコブが見た夢は、ヤコブの祈りが天に届いていることを示しています。彼はこのとき、孤独でした。ベエル・シェバからハランまでの道のりは、直線距離にして750キロもありました。東京から下関までの長距離です。もちろん徒歩であったでしょう。しかも彼は全てに別れを告げて、いま孤独の中を歩んでいるのです。
 何度もご紹介していますが、日曜学校誌にはこの時のヤコブの心がうまく表現されています。低学年用の説教例です。
「~この時のヤコブさんの心の中は、寂しさや、悲しみでいっぱいでした。お父さんとお兄さんを騙してしまってごめんなさい、という思い、やさしいお母さんに会えない寂しさ、自分はこれからどうなるんだろう、というふあんなで思い出、泣きそうになっていたのです。そうこうしているうちに日が暮れてしまい~ました。旅館もホテルもありませんから野宿です。寒かったことでしょう。」
 このように書かれています。また、小泉達人さんは、次のように語ります。
「これは恐らく、ヤコブノ祈りの象徴でしょう。天地にただ一人、孤独と不安の中で、生まれて初めて真剣に神に祈ったヤコブ。その祈りが神に達し、また神のかえりみがヤコブに届くことを、天に届く階段と、それを上り下りする天使の姿でイメージしています。祈りの象徴として、これほど深く、これほど美しく、またこれほど壮大な象徴はないと思います。」
 このように語られているとおり、ヤコブの祈りは聞き上げられ、彼に一つの約束の言葉が与えられます。13節~15節の言葉です。特に15節には、「見よ。わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない」
 このように、神はヤコブに語りかけます。逆境と孤独の只中で神と出会う様子が示されています。これは私たちに与えられた祝福の言葉であります。私たちの人生においても、まことの神と出会うのは、幸せの真っ只中ではなく、むしろ逆境であり、困難であるときの方が多くあります。順境のとき、私たちは、自分の力と知恵とを信じ、それが自分を立たせる最善の力であると、自信にみなぎります。しかしそのようなとき、神は私たちの前にその存在を現されることはありません。し
かし、挫折と痛みと、弱さの中で、自らの力を過信していた自分に気づいたとき、初めて神さまは、私たちと出会ってくださるのです。
 そこには真剣な祈りがあります。「わたしはあなたと共にいる」とお語りになる「インマヌエルの神」は、まさに私たちと共にいまし給う方でおられます。この世と共におられ、私たちの弱さと、また強さの裏にある傲慢と共にいて下さいます。
 ヤコブは神の祝福を兄弟エサウから奪い取りました。それは彼と彼の参謀であり助言者であった母リベカの知恵と力の為した成果であったと言えるかもしれません。けれども彼が本当の意味で祝福を受けるのは、自分への過信を通り超え、肉親である兄からの殺意から逃げ、親からも離れ、初めての場所に行く、不安の只中にいることそれ自体が、神の祝福の場面であったのです。
 アブラハムとイサクの神が、自分の神であることが宣言された。それは、帰る場所が定められた、ということに他なりません。今ヤコブは、行き場を失っています。ハランに行く道すがらですが、しかしそれは一過性の、一時しのぎ的なものであることは、ヤコブの目にも明らかです。それが彼の不安となっていたのです。帰る場所がない。それはあの放蕩息子が、どこにも帰る場所を持たなくて、町中を一文無しでウロウロしているあの孤独にも似ています。自分の撒いた種であることは分かっていても、帰る場所を、つまり希望を喪失していたのです。
 しかし今やアブラハム、イサクの神が、私の神であることが明らかとなった。喪失と失望が、希望と歓喜へと変えられた。それが神との出会いに示されているのであります。
渡辺信夫著「イサクの神、ヤコブの神」では次のように語られます。
「ヤコブに与えられたのは、単に神が共にいます、という安らかさや気強さではありません。将来が与えられ、したがって希望が与えられたということであります。ですから、ヤコブはどんな所へ行っても大丈夫だという自信ではなく、将来があるという希望を持ちました。この地を離れて去って行くのではなく、また帰って来る将来が希望によって見えて来たのです」(同書101ページ)
 私たちの希望はここにあります。いつでも主のもとに帰ってくる安心。いつでも主の下に帰ってきても良い、と許可されている確信。それが私たちへの祝福なのであります。